優美漂う梅雨の京

紫陽花がゆれていたっけ

あの日はとにかく忙しかった。バブルのさなか今から思えば恐ろしいほどの注文が全店に入っていたあの日の前夜にこう告げられた。

「申し訳ないが明日は全店数時間づつ行ってくれ」

その意味を理解し返事をするまでに数秒要した。

「えっー、まじすかっ」

と、おそらく目がまん丸になっている私を見て笑いをこらえながらの専務が
「とにかく、明日は人が各店足りん。店舗の人を休憩させるために休憩なしで行ってくれ、移動中が休憩や、その代わり何に乗ってもええから、タクシー、新幹線、駆使して出来るだけ速く移動してくれ」

大阪淀屋橋本店のその日の朝は4時に始まり1万5000円もする弁当を200個作り、7時には地下鉄御堂筋線で一路千里中央へ。 今度も松花堂弁当を200個詰め、しかも人がいないので10時半までに一人で詰めてくれという無茶な話に「えーっ」という暇ももどかしくなんとかこなし、すぐさ鉄御堂筋線で新大阪駅へ。新幹線に乗車し京都へ16分、すぐさまタクシーで哲学の道にある京都店へ。

昼に100人の結婚式があるという。

そう確かあれは6月ごろの話だろう。
紫陽花の花が哲学の道にゆれていたからきっとそうだ。


となるとその日の花嫁はジューンブライドだったんだなと、今さらながらに気付いた。
そしておおかたの料理が出た時点で京都駅へ向かいまたもや新幹線に乗車。新大阪駅からタクシーで伊丹空港へ。

空港店でしこたま天麩羅を揚げ続け、他の同僚を休憩に行かせつつ、そういや朝から何も食べてないことに気付き、わざと余分に揚げた天麩羅をつまみ食いしながらしのぎ、いや、つまみ食いという概念ははるかに越えていたと思うが、
「何してもええから」と免罪符をもらっている。

夕闇迫る17時にはタクシーに乗車、当時の中之島にある大阪ロイヤルホテルへ。

18時からの2000人という大宴会で屋台を3台出し、その内の一台で天麩羅を300人前揚げなければならない。朝から仕事といえば弁当詰めてるか天麩羅揚げてるかである。

20時を過ぎ、「今日はロイヤルでご飯食べて帰れるな」と、当時会社の中ではロイヤルホテルの賄が一番手がこんでいておいしかった。

長かった一日が終わりに近づき、片づけを残すのみとなった。

そこへ魔の使いがやってきて
「スグホンテンモドレ、カタヅケムヨウ」て、電報かっ!

またもやタクシーに乗車。本店では150人の宴会の半ば過ぎ、上役の人に帰ってもらうための人員補給の呼び戻しであった。
最後の料理やご飯、水物などを出し終わって洗い場に行くと山のような鍋やボール、素材ケースが散乱状態で、誰が洗うんこれ?と周りを見回したとき恐ろしいことに気が付いた。

「この中で自分が一番下っ端やん・・・」

洗い物して、包丁研いで、調理場のこすり洗いしてるころ出払っていた私より下っ端達がやっと帰ってきて「他店でもうご飯食べてきた」と言う。
むっとしながらデッキブラシを押し付けてご飯にありついたのが23時。

修行時代の「ある一日」を克明に覚えているのはこの時ぐらいであり、ある意味印象深い出来事であったし、案外気が付いたら19時間も経っていたという感じであった。
ちなみにそれ以前にも、それ以後にも一日で全店制覇を成し遂げた者はいない。

バブル華やかな頃だからこそ許された移動手段であったと今はなつかしく思う。

京の水無月

6月の京都は青々とした山、日の光を反射して流れる綺麗な川、暦の上では夏なのに木陰を歩くとまだ涼しく、ぶらり京都を散歩するには丁度よいのではないでしょうか?

ただ梅雨の時期は雨具をお忘れないように。。。

雨の日の京都もまたその時にしかない表情を見せてくれます。
優しい雨に打たれ三千院などの寺社にある紫陽花も温顔に咲いていることでしょう。

また6月といえば鮎の解禁ですが、私が思い浮かぶ鮎はしなやかに清流を泳ぐ鮎ではなく甘い生地で求肥を巻いた、 ふっくらと可愛らしい『若鮎』です。

今は早くから売っている和菓子屋さんも多くありますが、もともとは鮎の解禁に合わせて出されていたようです。これが笹が敷かれたザルに並べられて店頭に出ているのを見たら
「もう夏が来たんやなー」
なんて知らしてくれている気さえします。

もう一つ、6月の京都には夏の風物詩と呼べるお菓子があります。
それが、6月30日に健康を願って食べる『水無月』です。

その日は社寺にて無病息災を祈願する夏越祓という神事があり、そこで使われるお菓子が水無月なのです。 水無月の台は氷を表し、上にのる小豆には悪魔払いの意味があります。 昔、都の宮中では夏になると氷室で保存していた氷を口にしていたそうです。 しかしながら多くの人々にとって氷はそう簡単に手に入る物ではなく、 変わりに生まれたのが水無月なのだそうです。

水無月が三角の形をしているのも氷を表現してのことだとか。

また6月のことを水無月といいますが、その呼び名の由来も諸説あり、水が枯れ果て無くなるから『水無月』、雷の多い月でかみなり月から『みな月』、田んぼに水を引く月なので水の月から『水な月』等々。

京の町を歩いているとそんな呼び名の由来が色々あるように、様々な表情の京都の水無月に出会えるかもしれませんね。